2023年のバスケットボールW杯日本代表の比江島慎(ひえじま まこと)選手。
イベントなどで子どもたちに優しく接する姿を見てファンになる人が増えています。
そんな優しい人柄の比江島選手の家族は?
いつもファンに感謝の言葉を欠かさない比江島選手の人柄はご家族の影響も大きいのでは?
と気になったので調べてみました。
比江島慎選手のプロフィール
氏名 | 比江島 慎(ひえじま まこと) |
出身地 | 福岡県 福岡市 |
生年月日 | 1990年8月11日 (年齢 33歳) ※2023年8月現在 |
身長 | 191 cm |
所属チーム | 宇都宮ブレックス |
学歴 | 青山学院大学 |
プロ選手期間 | 2013年〜現在 |
中学校 | 福岡市立百道中学校 |
比江島慎選手の父親について
比江島選手の父親についての情報はありませんでした。
お母さんが女手一つで育てられたということでしたので、早くに死別されたか離別されたのだと思われます。
比江島慎選手の母親について
比江島選手の母親は、
淳子さんです。
淳子さんは2018年4月に57歳の若さで亡くなられてました。
突然の心臓発作だったということです。
引用元:Get Sports
2018年シーズンの終盤にお母さんが亡くなった後、比江島選手は2018年のMVPを受賞しました。その時のスピーチで涙がらに母の死を報告した彼の姿に、多くのファンも涙しました。
母、淳子さんは、比江島選手の海外挑戦の夢を応援するため、2017年にステラリアンという会社を設立し、サポートしていました。
比江島慎選手の兄弟について
比江島慎選手の兄弟は
兄の章さんです。
比江島選手より3歳年上で、バスケットボール経験者です。
比江島選手が福岡の強豪、百道中学校に進学した時、章さんは福岡工大城東高校に進学しました。
比江島選手はインタビューで、お兄さんとは中高生の時は距離ができていたと語っています。ですがお兄さんは陰ながら弟の試合を見に行ったりして、応援してたようです。
母淳子さんが急逝してからは、ステラリアンの代表取締役となって、慎選手のサポートをしています。
女手ひとつで兄弟二人を育てていた淳子さん。
今も兄弟の仲がよく、支えあっている姿を見て、喜んでいることと思います。
青山学院大学時代の成績は?
比江島選手は青山学院大学に進学した理由として、
・高校(洛南)の先輩である橋本竜馬さん、辻直人さんが在学していた。
・設備が整っていた。
・高校時代の吉田先生に「トップレベルでやるべきだ」と言われた。
・当時、青学の練習が一番厳しいと言われていた。
ということを話しています。
一年生
一年生時からスタメン起用されました。
- 新人戦優勝
- リーグ戦・インカレ3位
2年生・3年生
- 全日本大学バスケットボール選手権大会優勝
- 新人戦優勝
- リーグ戦優勝
- インカレ優勝
- 比江島選手はチームトップの得点王
あまりにも強すぎるので、この頃の比江島選手は集中力に欠けたプレーで監督によく怒られていたと語っています。
ただ、そんな中でも1年下で東海大学の田中大貴選手との対戦は楽しみにしていました。
他に比江島選手の攻撃を止められる人はいなかったので、田中選手との対戦は集中してプレーが出来たようです。
4年生
- 日本代表に選出
- 2012年NBL新人王を受賞
- リーグ戦優勝し3連覇
- リーグ戦MVPを受賞
- インカレ準優勝
常に最強と言われて勝ち続けてきた比江島選手は、4年生のインカレ時に東海大学に決勝で負けても「悔しい」とはすぐに思わなかったそうです。監督からの「お前にいつも勝たせてもらってたのに、最後に勝たせてやれなくてごめんな」という言葉で悔しさが湧いてきたのだとか。
その後、監督に「お前は負けて終わっちゃダメだ、負けで終わる男じゃない」と言われてスイッチが入った天皇杯では大量に得点・リバウンド・アシスト数を稼ぎます。
青山学院大学は社会人チーム、トップリーグチームを破りベスト8になりました。
まとめ
- 比江島慎選手の家族は3人家族
- 父親の存在は不明
- 母親が2013年にステラリアン・バスケットボール株式会社を設立
- マネジメントやグッズ販売などを行っている
- 母親は2018年に他界されている
- 兄が遺した会社を引き継いでいる
- 比江島慎選手は2020年より会社代表を務めている
- 青山学院時代はチームを日本一に導いた
ここまでご覧いただき、ありがとうございました!
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